じゅうよんなはなし〈14と時間〉

2026年、あをば荘は14年目を迎えました。14といえば千々和佑樹さん2024年に開催した展覧会「生き延びるためのラプソディ」出品作家でもある彼は、「14」をキーワードに製作をしているユニークなアーティストです。
本連載「じゅうよんなはなし」は、こちらが提案したお題に対して、千々和さんに14と結びつけて語っていただく特別企画。毎月14日と28日に更新です。14から見えてくる世界をお楽しみください。
第七回はお便りフォームから届いたお題「時間」です。

14と時間

今回の「14と時間」というお題は、募集で集まったものです。また、ありがたいことに、お題だけでなく「なぜこれが気になるのか」という理由まで添えていただきました。せっかくなので今回は番外編として、そのいただいた質問に答える形で喋ってみたいと思います。

手前みそ的配慮で逆に不快にさせてしまうかもしれませんが、少しお便りを要約させていただきます。「14時という時間は毎日必ずやってくる。14分は24回、14秒ならなおのこと。その中で 14をどのように意識したり、感じているのか。また、14時14分14秒のような14が3つ揃うときは一種のゴールデンタイムになって、何か生活のポイントになっているのか。“生活においての14時とは”」というような内容でした。ありがとうございます。

まず初めに、いつからやってるのかもう覚えてないのですが、私の携帯のアラームは毎日14時ちょうどになると振動するように設定してあります。なので、質問主の方の「ゴールデンタイム」という華やかな想像とは、むしろ真逆で、淡々としたただの現実ともいえるかもしれません。そろそろ14時だな、と身構えることも全くなく、振動して初めて無意識にボタンを押して閉じるだけ。画面にどう表示されてるのかすら鮮明に思い出すことはできません。。人といるときにアラームが作動して振動する。そして「14時ですね。……ちなみに毎日設定してます」と14ギャグみたいな話の種になるくらいです。そこから話が広がった試しはないし、大抵みんな少し引いてます。

誤解のないように言うと、自身での14に対する価値観においては、その「また来たか」というなんでもない感覚のほうが、より適切である気がしているんです。何度も連載のなかで言っているような話をまた繰り返してしまいますが、14という数字それ自体に特別な意味はなくて、むしろ意味は「ない」ものだとさえ思っています。そして意味がなかったからこそ今も続けられているのでしょうか。煩わしさを感じつつも毎日アラームを押し閉じるという習慣が、さらに14への価値観を何かしら後押ししてくれているのかな。と、いま振り返ると感じます。

それから、「14分が24回やってくる」及び「14秒ならなおさら」という視点は、正直いままで深く考えたことのないものでした。14が3つ揃う瞬間についても、言われてみればそうですが「14の隣に14がある」という認識自体が、恥ずかしながら意識として薄かったように思います。しかし補足するとそれは、14時14分14秒という並びがあったとき、私は「14秒の14」が一番14らしいと感じるからです。例えば、1414という数字の並びが目に飛び込んできたとして、14**の部分は14ではなく1400。しかし、1414の「14」は1400が付属した上でのものであるけれど、切り離されたときは14であると捉えているからです。

しかし最近は、定まっている14だけでなく「流れる14」についても考えています。昔、グループ展をしたときに担当した空間が偶然14畳で、「すでにあるのだから、もう何も展示しないでいいか」と自問自答したことがありました。勝手に14がそこにないと思って探していたけれど、本当になかったのか。それと同じように、流れる時間の中の14も、意識のどこかにはあるでしょう。最近の自分の態度として、「これから/いま/かつてを含むすべての時間の流れの14 才へ向けての製作を思案し続けている」という向き合い方をしているからか、時間の流れをどこか今まで以上に意識しているのでしょうか。とすると、14時14分14秒の中では14秒に一番14らしさを感じるというのも、そのなかで一番早く変わってしまうのが14秒という理由へ移り巡ってゆくのかもしれません。

ここで昔の自分が、なぜ14秒でも14分でもなく、14時にアラームをかけたのかといえば、それは14時が一番「長い」からだったと推測します。14秒も14分もすぐに変わってしまうけれど、14時は1時間続く。とどまっている。やはり過去の自分が「定まっている14」に照準を合わせていたんだなと腑に落ちます。

質問に「生活においてポイントになっているか」とありましたけど、14時という時間は、活動時間の中で捉えると、ちょうど「真ん中」の感覚があるのかもしれないです。例えば7時に起きて21時に寝るとしたら、活動時間はちょうど14時間になって、その真ん中が14時になる。そう思うとちょうど真ん中です。とはいえ、7時に起きて21時に就寝なんて幼い頃以来あるのか、といった規則正しい生活のイデアのようなものですが。あるいは蕎麦屋を思い浮かべると、14時半とかに営業が終わって中休みに入る、「一区切り前」の、束の間の時間という感覚なのでしょうか。

また、生活の中で何かを切り替えようとするときに、心の中で「14秒」を数えてから動くことはあります。朝、眠いけど起きなくちゃいけないときに、1から14まで数えて「よし、起きよう」と。それから瞑想のときは、一般的に10秒のところを、私は14秒で吸って14秒で吐いてみる。ちょっと息は苦しいですが。

お便りをいただいたおかげで色々と巡らせることができました。しかしながら、やはり私にとっての14時は、ゴールデンタイムのような華やかなものではなく、毎日ただそこにやってくる淡々とした「14時のみの時刻表」のようなものです。14という数字/記号、自体がある種でまったく14ではない、というような透明さを抱えながらも、私はただ、毎日14時に鳴るそのアラームを設定し続けてゆくでしょう。

今回のご質問は、そんな自分の無意識の態度を、また新鮮な目で見つめ直すきっかけになりました。ありがとうございます。これからまた、21時に寝て7時に起きる日が、来るかどうかは分かりません。単純にただ起きてから7時間後、それもまた流れる中での14時の一つ、なのかもしれません。


千々和佑樹(ちぢわ・ゆうき)

1991 年大阪府豊中市生まれ。2012 年東京造形大学インダストリアルデザイン専攻入学後、2014 年絵画専攻へ転科、2017 年卒業。14 という数字/記号をきっかけとして絵画を作り、物体と組み合わせることで絵画を空間的に展開している。また近年は定まっている14 だけでなく流れている14 にも着目し、これから/いま/かつてを含むすべての時間の流れの14 才へ向けての製作を思案し続けている。
主な展覧会に「群馬青年ビエンナーレ 2021」(群馬県立近代美術館、2021 年)、「黄金町バザール 2021」(site-A、2021 年)、「意図とイデアとときどき健康に」(しあわせ美じゅつ店、2025 年)など。あをば荘では、2024 年にグループ展「生き延びるためのラプソディ」(前期展)に出品。

執筆: 千々和佑樹
編集と写真: 佐藤史治(あをば荘)
編集アシスタント: Gemini

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