Sin_g個展「私は風景になりたい」

Sin_gさんの個展「私は風景になりたい」を9月に行います。Sin_gさんのブログとツイッターを見るとあれこれ想像させられてしまう人です。でも、直接会ってみると、Sin_gさんも作品もちょっと違う感じです。土日祝はSin_gさんがあをば荘にいる予定です。最終日は通常展示終了後にトークイベントも開催予定です。作品とあわせて作家にも会いに来てください。

また、この展示チラシがありません。みなさんご興味がありそうな方へコピペして転送お願いいたします。

栗原汐里

Sin_g個展「私は風景になりたい」

会期;2015年9月11日(金)-23日(水・祝)

金土日祝月(9月11日ー14日、18日ー23日)

14;00-19;00

休;火ー木

問い合わせ先;kurihara.shiori@gmail.com(栗原)

Sin_g http://dnassociation.blogspot.jp/

「私は風景になりたい」

福島は他人事だった。

スーパーから食料品が消えたことと客の数が減ったこと以外、自分の生活に影響はなかった。

様々な報道などに接しても、それはまだ他人事だった。

同じ国であろうと、行ったことない地に思いを馳せることはできなかった。違う国でも、クゥエッタでのテロには胸を痛めたというのに。

転機は知り合いの結婚式であった。彼の故郷である郡山に呼ばれた。興味本位が先立ち、時間の許す限り福島の海岸線を歩いてみようと思った。

私は自分を含め他人の気持ちがわからない人間である。だから共感が出来ず、他人事に思える。

東北大震災を通じ『絆』という言葉が多く使われた。切り難い関係とはいったい何なのだろうか。関係の無い状態のまま絆を持つことが出来るのか。出来たと思うのなら、それは本当に『絆』として定義される気持ちなのだろうか。昔の友人や恋人等との絆とそれは本当に同じであろうか。

言い換えれば、私は福島に対して共感も絆も持ち合わせていないのである。私がそれが出来るのは、波達薬師近くで宿泊した『すみや』で会った人たちやおにぎりを買ったコンビニのおばちゃん達にだけである。

私が土地や風景に対して出来ることは、それが存在したと記憶に残すことだけである。

私の記憶の中に、あの日の福島県楢葉町木戸駅周辺で見た風景がある。私の中に私がこれまで見てきた風景がある。そして私の中の風景の記憶は、全く別の地の風景を引き寄せた。

本年9月、木戸駅周辺の避難指示が解除される予定である。

あの場所の風景は変わっていくのだろう。しかし私が見たあの風景はそのまま、私が持ち続けていくのだ。

本展覧会を通じ、あの日あの時私が見た風景と、この世界で生きてきた1人の人間が繋げた風景の理由を知り、この会場の風景が来訪者の記憶に残されれば嬉しく思う。

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