青葉荘の事々

 

 

 

 

青葉荘の事々

情報提供者:ホシナ夫婦、F橋さん、青葉荘の住人
作成:2017年3月31日

 

 

墨東エリアには、俗に“文花村”と呼ばれる場所があります。

2012年、あをば荘もそんな村に居を構える事になりました。

団地、酒屋、中学校、ホームセンター、床屋、居酒屋、アートセンターと何でも揃うこの村には、

半世紀ほど前から、「青葉荘」と呼ばれる集合長屋が存在しています。

ここでは、そんな「青葉荘」の歴史をご紹介します。

青葉荘2017

 

 

1.現ユブネ

●クリーニングクラウン(最初~2013)
青葉荘ができた時からずっとある。途中で旦那さんが亡くなったあとは、奥さん一人で切り盛りしていた。その後、奥さんも亡くなってしまい閉店となってしまいました。今もご家族は近所に住んでるはずとのこと。閉店時には、あをば荘にもご挨拶に来てくださいました。
あをば荘の最初のイベント「私たちがおすそわけできること」でクリーニングをお願いしました。

●カドバタ(2013?〜16?)
国際ボランティアのコーディネートを行うNGOの方が入居。
東南アジア系の方がよく滞在し、リノベーションや文花エリアのお神輿にも積極的に参加していた記憶があります。あをば荘もお神輿などの町内会行事によく誘われましたが、なんとなく関わることなく早数年。今では誘われなくなりました(町内会費は納めてますが)。この時、現ユブネにお風呂ができたはず。ポテトサラダのパーティーもよくやっていた。退去時には食材やソファベッドを譲っていただきました。

●まぼろし空間ユブネ(2016~現在)
テシバさんとカツラダさん。あをば荘メンバー三原さんともお知り合い。2016年に開催した「おでん展」がホシナ奥さんに大変好評でした。

2.現ホシナ

●フジバーバー/理容フジ(少なくとも1973~81)
店主はT川さん。現在は埼玉県八潮市で床屋をやっているのではないか、とのこと。

●ヘアサロン寺田(1982~87)
店主はT田さん。T田さんに変わってから最初のうちは、店の屋号はフジバーバーのままだったかもしれないとのこと。

●ヘアーサロンホシナ(1988~現在)
青葉荘ができる前から近くに住んでたので、この辺りの事情はお店を出す前からなんとなく知ってる。2017年現在の時点で青葉荘内で最も古くからある店。以前のテナントのお客さんも利用してくださったりしているとのこと。「でもお客さんは減ってるよ、亡くなったりしてるから」(ホシナ旦那さん)
ちなみに、青葉荘の住人は88年と89年生まれなので、その頃から営業していることになります。

3.現あをば荘

●根ぎし(最初~1998)
餅菓子屋さん。家族で住んでた。ホシナ夫婦は、今もオリンピックでごくたまに会うらしいので、墨田区か江東区辺りに住んでるはず。お店はもうやってないとのこと。あをば荘の柱には、現在でも当時の痕跡(子どもの名前など)が刻まれています。

●あをば荘(2012~現在)
Googleマップ上にはアートセンターと記載されている。21世紀以降で若者?が青葉荘に入居した最初のスペースであり、墨田区文花に住む多くの人々が驚いた。当時は新興宗教ではないかとも噂されていた。

4.現斎藤印刷

●味よし(1978~87)
おでんが美味しかったというお惣菜屋さん。お店の方は和太鼓もやっており、どっちが本業か分からないとのこと。なんだそれ。

●エスティー運送(1988~97?)
赤帽的な運送会社。Sザキさん。ホシナさんとほぼ同時期に青葉荘に入った。印刷屋さんから運送会社になったらしい。息子さんはイガグリ頭だった。「今はずいぶん大きくなってるでしょうねえ」(ホシナ奥さん)

●富士工押上作業所(2007?~09?)
情報提供者であるホシナさん、F橋さんともに非常に印象が薄かった模様で、「なんか入ってたかもね」(ホシナ奥さん)「確かにずっと空いてたわけではなかった」(F橋さん)という証言。5分くらい考えたホシナ旦那さんが、道路工事とかの建築屋さんが事務所として使ってたかもしれない、ということを思い出した。そんな富士工をご存知の方は、ご一報ください。

●斎藤印刷(2011~現在)
仏のごとく優しい斎藤夫婦が住んでいる。

5.現fumee(現在は休業中…?)

●F橋さん(1987~?)
昔の地図上には名前が載ってないが、1987年から住んでいた。途中からテナントとして借りながら文花アパートに移り、今でもそこで暮らしている。ときどきホシナに遊びに来ている。

●(株)シンセイ社(1990?~2008)
F橋さんの印刷屋さん。隣の現ドマトコが空いてる時は、倉庫として短期間借りたりもしていた。
二階の住居から水が漏れて来て高価な機械が壊れたことがある。
「弁償してもらいたかったけど、弁償できるような人は住んでなかったからねえ」(F橋さん)
また当時は非常に治安が悪かったらしく、置き引きも多かったという。F橋さんが店の前で鍵をかけずに車を停め、後述するコーヒーファミリーでお茶して戻って来ると、車内の背広がなくなってたらしい。現存するシャッターは、F橋さんが自分で業者呼んで設置してもらったとのこと。
なお現在の青葉荘の外壁の色は、まだあまりしっくり来ていない様子。

●fumee(たぶん2014~現在)
素敵セレクトショップ。最初は二人で営業していたが、途中から一人で営業。最近は休業中っぽい。ホシナ奥さんは「よろず屋さん」と呼び続ける。あをば荘とは共同でよくイベントもやっていた。

6.現ドマトトコ

●UK宮島??商会(1973?~77)
詳細不明。

●青山商店(1978)
宮島なんとか商会は、昔の地図では字が潰れてて読めない。もしかしたら現fumeeのテナントかもしれない。F橋さんが来る前は文房具屋さんがあったという情報もあり、宮島なんとか商会か青山商店がそのどちらかだと思われる。またホシナ旦那さん曰く駄菓子屋さんがあったという証言も。駄菓子も売ってた文房具屋さんかもしれない。求む、詳細。

●お好み焼フカエ?(1979~81?)
ホシナさんも行ったことがなく、こちらも詳細不明。

●お食事の店 乃むら(1982?~90)
居酒屋さん。ドマの部分にテーブルがあってトコの部分にも席があった。小さい店だけどいつも繁盛しており、この頃は人がたくさんいたという。「地域密着型のお店って感じだった」(ホシナ旦那さん)
ドマトトコ入り口の外壁が汚かったのはこのお店のときの油汚れではないかと思われる。憶測です。

●(有)富士企画(1991~94?)
雑貨屋さん。もしかしたらここが先述の駄菓子屋さんかも。曖昧な場所である。

●エスプレス(1996?~99)
プレス屋さん。何をプレスしていたのだろう。

●ドマトトコ(2014~現在)
アーティストらによるシェアアトリエ。三原回、佐藤史治+原口寛子、Yシナさんの3組で始めるが、途中でYシナさんが抜け、新メンバーとして鳴海テヨナが入るものの、2016年末に抜ける。たまに展覧会やイベントも行うスペースだが、手狭になってませんか(2017年3月現在)。

7.現なにかの店

●森永牛乳文花配給所(最初~1997)
今は十間橋通り沿いにある、シャッターにドラえもんが描かれてるあの店。今の場所に移るまではここにお店があった。衝撃の事実。

●エスプレス佐生(1998~2002?)
詳細不明、プレス屋さんがここも使っていたっぽい。何をプレスしていたのだ。

●まあるいじかん/絵本ちゃんとクッキーちゃん(2014~15?)
K丸さんが不定期で開いていたカフェ。日曜のお昼にランチ営業してた。キッチンを使ったイベントをfummeがやっていた記憶も。

*ちなみにK丸さんが入る前、ホシナさんF橋さん曰く、サボイというブランドを扱うバッグ屋さんが入ってた時期があったという。が、地図には載っていない。小さい店だったから登録とかしてなかったのかもとのこと。そのお店の方は今でも近所に住んでいるらしい。男前な中国系の方らしい。その後も別の店があったらしいが、「男性が夏になるとサマーベッドを出している店、何だったのだろう」(ホシナ旦那さん)とのこと。

●ステンドグラスのアトリエ?(2015?~16?)
あまり使ってる様子がなく、詳細不明のまま退去。

●なにかの店(2017〜)
引越しの挨拶にお菓子をくれた、美味しかった。

8.現王手

●スナック泉(最初?~1982?)
詳細不明。ホシナさん曰く、ここのテナントはずっとスナック系が入ってたとのこと。

●スナックフレンド(1984?~90)
青葉荘近くにある御殿(と勝手にあをば荘では呼んでいる)のK本さんが経営していたスナック。F橋さんによると、ほぼ同時期(1982~89?)には、コーヒースナックファミリーというお店も同一の人物が近くで営業していた。フレンドとファミリー。スナックがあった頃の青葉荘に行ってみたい。

●居酒屋はやし(1991~2012)
衝撃のどんぶり勘定であをば荘メンバーが大変お世話になった店。「やきとり」と看板には書いてあったが、ホシナ旦那さん曰くほんとはやき豚のお店らしく、豚が美味しかったらしい。しかしホシナ奥さんもF橋さんもあそこではやきとりしか食べた記憶がなく、真相は不明。近所にあった「改良湯」のご主人と仲が良かった記憶がある。

●海鮮居酒屋 王手(2013~現在)
青葉荘住人もたまに利用するお店。とくに週末はにぎやか。

9.現駐車場

かつては銭湯だったとのこと。最高の立地ですね。

 

 

 

*この歴史は、事実に基づいたフィクションです。